ROY BUCHANAN

BIOGRAPHY


1940年9月27日
(39年、41年の説もあり)

アーカンソー州の牧師の家庭に生まれる。
2歳の時、カリホルニア州ビクスレーに移る。



9歳の頃にはスティール・ギターを手にするが、すぐギターに持ち替える。
音楽理論も勉強するが挫折。
この頃、トリオを組んでプレイをしはじめる。


14歳の時に家を出て、放浪の旅に出る。


1957年
ルイジアナのクラブでデイル・ホーキンスのバンド・ギタリストのジェームス・バートンと知り合い、意気投合する。
ジェームスはのちに、リッキー・ネルスン、エルビス・プレスリー、コステロ等のバックを努める名手である。



やがてジェームスの後を受けて、デイルのバンドに加入。
3年間そこで過ごし、レコーディング、ツアーをこなす。
中でも、デイル最大のヒット曲、ストーンズ、CCR等のカバーで知られるロックのクラッシック
「Suzie Q」は全米最高位27位となる。

1959年
ジュディと結婚。


ジェリー・ホークス、カントリーのボブ・ルーマンのバンドを経て、ロニー・ホーキンスのバック・バンド、ホークス(ザ・バンドの前身)に加入。
若き日の同バンド・メンバーのギタリスト、
ロビー・ロバートソンはロイに大きく影響を受けたと認めている。


その間にも、フレディー・キャノンの大ヒット「Why Down Yonder In New Orleans」のバックを努めたり、 スワン、ボマークといったマイナー・レーベルよりからソロ・アルバムを出している。


1960年頃
ツアーに嫌気もさして、ワシントンDC郊外のメリーランドのブラッデンブルグに移り、ダニー・デンバー&サウンド・メイカーズなるバンドの一員として、地元のクロスロード・クラブでプレイしていた。



ローカル・クラブでプレイしている噂を聞きつけ、様々なミュージシャンがクラブを訪れるようになる。
旧知のロビー・ロバートソン、エリック・クラプトン、ジェームス・テイラーの片腕としてあまりにも有名なダニー・コーチマー等である。
それ程までに、先の「Suzie Q」でのロイのプレイは伝説となっていたのだ。


1969年
なんと、ローリング・ストーンズ(特にキース)より、ブライアン・ジョーンズの後釜として加入の依頼がくる。しかし、ロイは「お互いの為」とあっさり断る。


1971年
NET-TVが彼を中心にした「世界最高の無名ギタリスト」というドキュメンタリーを全米的に放映。番組の中でビル・グラハム(アメリカの興業界を牛耳る、大物プロデューサー)に絶賛される。
音楽シーンで話題となり、レコード会社間で争奪戦となる。

1972年
Polidorと契約。「Roy Buchanan」発表。


アメリカのギター・マガジン「ギター・プレイヤー」主催の1972年度ギタリスト人気投票において、新人部門で1位、カントリー部門では、チェット・アトキンスについで2位となる。

1973年
「SECOND ALBUM」発表。


1974年
「THAT'S WHAT I AM HERE FOR」発表。
「IN THE BIGINNING」発表。
11月27日、NY,Town Hallで、「LIVE STOCK」収録。


1975年
「LIVE STOCK」発表。


1976年
「A STREET CALLED STRAIGHT」発表。

1977年
「LOADING ZONE」発表。
6月7日、ジャパン・ツアー、スタート


1978年
4月、「LIVE IN JAPAN」発売。
5月、「YOU'RE NOT ALONE」発売。


1980年
12月、「MY BABE」発表。


1985年
「WHEN A GUITAR PLAYS BLUES」発表。

1986年
「DANCING ON THE EDGE」発表。
9月、2度目のジャパン・ツアー実現。


1987年
「HOT WIRES」発表。


1988年8月14日
それは、次のレコーディングも決まった矢先の事であった。
泥酔して収容されていたヴァージニア州フェアファックスの留置所で発作的に首吊り自殺にて死亡

彼の名誉の為に言っておくが、別に酔って暴れたとかで留置所に居たのではない。
酔いつぶれていたのを
保護されていたのだ。
享年48歳であった。




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