NICKY HOPKINS

BIOGRAPHY


1944年2月24日
ロンドン郊外のイーリングに生れる。


6歳の頃から正式なレッスンを開始する。

1956年
ロイヤル・アカデミー・ミュージックにて本格的なクラッシックピアノを学ぶ。



姉の影響でロックンロールにはまる。

1960年2月
初代サヴェイジズの一員となる。
ギターのバーニー・ワトスンは後のブルース・ブレイカーズの初代ギタリストであり、クラプトンの憧れのギタリストでもある。
初のレコーディングもこの時。


1962年5月
ワトスンとともにクリフ・ベネット & ルーザーズに参加。

1962年11月
かつてのサヴェイジズの面々とシリル・デイビス・R & B ・オールスターズに参加。

1963年5月
精神性疲労による胃病を患い、19ヶ月の闘病生活となる。

1964年12月

退院するも、シリル・デイビスは他界しており、途方に暮れる。
元サヴェイジズのドラムス、カーロ・リトルの紹介で仕事を貰う。
この時のプロデューサーはジミー・ペイジ、エンジニアはグリン・ジョンズ(ビートルズの幻の「GET BACK」のプロデューサー)ギターにジェフ・ベック。という内容で、わずか数ポンド貰ったセッションの仕事である。
しかし、この音源が「Blues Any Time Vol.3」としてジミー・ペイジが勝手に版権を手に入れリリース。
このことを酷くニッキーは怒っているがここでは割愛。

(「Blues Any Time」シリーズのVol.1、2ではクラプトンをペイジが自宅に呼び、二人でジャムした物に後からビル・ワイマン、ミック・ジャガーのハープ、イアン・スチュアートらの演奏を勝手に被せて同じような事をしている。
このシリーズは日本でも販売しているので、ジミーを喜ばせたい人はCDショップへどうぞ。
この辺が、僕にとってジミーがヒーローにならない所なんだなあ。
当然、クラプトン、ベックも怒っている記事があるのだが・・)

1965年
それでもグリン・ジョンズに気に入られ、売れっ子プロデューサーのシェル・タルミーを紹介された事からレコーディングの仕事が増えだした。
セッションワークのスタートである。


1966年
初めてのソロ作を発表。


Soul Survivalというインストバンドを昔の仲間と結成、レコーディングするが一回限りであった。

1967年11月
ジェフ・ベックの三枚目のシングル「Love Is Blue」のB面「I've Been Drinking 」の参加。
アルバム「Truth」の参加。


1968年6月

ストーンズのアルバム「サタニック・マジェスティーズ」の制作合間にキースを除くストーンズのメンバーやライ・クーダーらと繰り広げたセッションが「ジャミング・ウイズ・エドワーズ」(エドワードとはニッキーのニックネーム)として、ストーンズ・レーベルより発売。

1968年10月12日

ジェフ・ベックとのセッションを機会に、ジェフ・ベック・グループへ全米ツアーから正式メンバーとなる。

1969年6月頃

トラブルの多いバンドに嫌気がさし、ツアー途中で脱退。サンフランシスコに留まり、準メンバーであったスティーブ・ミラー・バンドへの参加。
クイックシルバー・メッセンジャー・サービス(以下QMS)への正式加入。
この頃にアメリカのミュージシャンとの交流が深まる。
サンフランシスコのミル・ヴァリーに滞在するのだが、「ベック・オラ」の中に「ガール・フロム・ミル・ヴァリー」というニッキーの曲がある。結構、隅に置けない。(笑)

1969年8月16日
ジェファーソン・エアプレインのウッドストック・フェスティバル出演にゲスト参加。QMSを一週間休む。


短期間ではあるが、スィート・サーズデイというバンドを結成。

1971年
イギリスに戻り、ローリング・ストーンズの英国ツアー3/4〜3/14に参加。


ディスコ・グラフィーの通り、ストーンズ、ジョージ・ハリスン、ジョン・レノン、ザ・フーetcらのセッションに精力的に参加。
また、数々のツアーにも同行。

1973年

二枚目の冠アルバム「ザ・ティン・マン・ワズ・ア・ドリーマー」を発表。
ジョージ・ハリスン、ミック・テイラー等の熱い客演が聴ける。


1975年
三枚目のアルバム「ノー・モア・チェンジズ」発表。

1979年
クリス・トンプソン率いるバンド、ナイトに参加。

1988年7月
アート・ガーファンクルのバックバンドとして来日
(以外にもこれが初来日)


1992年
日本TVのドラマ音楽の担当をする。

1994年9月6日
病のため死亡。




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