JANIS JOPLIN
ジャニス・ジョプリン

1943 - 1970





私が中学3年生の頃だろうか、当時私の住む京都府の南部の街にも、小さなレコード店が有った。

当時、ビートルズとキッスがすべてだったのだが、この店のオヤジと仲良くなるのをステータスのように通っていた。

まあ、仲良くしていれば、ポスターやカレンダーなどの販促物などを貰う事が出来たというのも有るのだが・・・・・・

反面、自分が欲しいと思ったレコードが、ミーハーだったりした場合、なめられると思うとこの店では買えなかったりして、自転車で隣町まで「ゴダイゴ」を買いに行ったりした。

子供には子供のプライドが有ったりした。

ある日、この店のオヤジが「ジャニス・ジョプリンのパールはいいよなあ」というようなことを言い、「そうですねー、やっぱりパールですよね。声がスゴイですよね」などと適当にミュジック・ライフで仕入れていた知識で話を合わせてしまった。

オリビア・ニュートンジョンを買おうとしてたのだが、その店を後にして隣の町まで。

で、件の「パール」なるLPを購入。

この時ほど自分のC調さかげんを悔いたことはなかったのだが、その後の人生でもこのあたりは直っていない。


ジャケットからして、自分のタイプでは無い女性。ややブルーなまま針を落とす。

鳥肌の立つ声であった。よく、ジャニスを評して使われる言葉であるが、やはり「鳥肌の立つ」としか言いようが無かった。

レコードの音にレイプでもされたとでも言おうか、思春期の私は自分のタイプでも無い女性の声に衝撃を覚え今もトラウマとなっている。

アナログのシステムのチェックには、アレサ・フランクリンのバージョンの「マイ・ラブ」か、ジャニスの「パール」は欠かせない。

特に私がこのHPで紹介しなくても、ジャニスの音は確実に100年後の人も聴いているだろう。

つまらない話ではあるが、何処で購入したのか記憶の薄いレコード群の中で、鮮明に覚えている記憶なのです。

友人と飲んだ時に語る、初恋の話と思ってくだされば幸いです。




BIOGRAPHY
DISCOGRAPHY




- パール -


パールとはジャニスのニックネームである。

彼女自身、このニックネームで呼ばれる事を喜んだ。

しかし、美しいニックネームとは反対に、彼女は自分の美人とは言えない容姿にコンプレックスを持っていた。

学生の頃は、キャンパス中で一番醜い奴とまで言われた。

彼女は自分を女と認めない生まれ故郷を好きでないのか、テキサスをつまらない所とよく語っている。

彼女の歌はフォークソングの望郷の思いとは違い、一歩でも生まれた所より遠くへと歌っているような気がする。

安住の地を求めてボヘミアンとなり、しかしその地は見つからず人生をあきらめたような、悲壮感のような物を感じる。

「サマー・タイム」を初めて聴いたとき、まだガキといったほうがいい私でさえ、死にゆく女の姿が思い浮かんだ。

灼熱の太陽の下、ヒールも脱ぎ捨てフラフラと自分の死に場所を求めて歩く女の姿を、思春期の私は想像した。


今回は余りウンチクめいたものは要らない。

未だジャニスを聴いた事がない人で有れば、聴いてもらうだけでいい。

ジャニスの荒々しい声にレイプされ、初めて男になった喜びをあなたは感じるはずである。





- 4ドル50セントとマルボロ -


そんな彼女もやはり故郷に戻っている。死の約半年前に故郷のハイスクールの同窓会に顔を出す。

もう彼女をバカにする人間はいない。

新境地でも見つけたのか、彼女は自身の最高傑作となる「パール」のレコーディングを開始する。

レコーディングも進んだ10月4日、彼女はホテルで死んだ。

手にはタバコを買った時のお釣り、4ドル50セントが握られていた。

傍らには、封の切られていないマルボロが転がっていた。


彼女には遺書が有った。

「(自分が死んだら)火葬にして、灰を太平洋にまいてほしい」というものであり、そしてそれは守られた。

彼女の魂は今も海を彷徨い、海に面していない故郷へたどり着くことは無い。


レコーディングは一曲のみボーカルが未録音だった。

その「パール」に収録のボーカルの無い曲名は「BURIED ALIVE IN THE BLUES」。

邦題を「生きながらブルースに葬られ」という。




- 最後に -


今回はロックスターと言えるかどうか判りませんが、もし主張とかライフスタイルでロックを語るなら、彼女は間違いなくロッカーでしょう。

暴言ですが、つまらないオーバーダビングのプログレの二枚組を長時間聴くなら、ジャニスを数曲聴くだけでいい。

ジャニスを聴かずして死ぬなかれ。





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