YESTERDAY AND TODAY


昔から思っていたのですが、ビートルズ関係の本などで『ブッチャー・カバー』の事を調べると、決まって『キャピトルがビートルズのアルバムを切り張りし、勝手に編集する事への反発』がこの不気味なジャケットのコンセプト。
の様な事が書かれています。

私も最初はこの立て板に水の様な理屈に納得していたのですが、考えてみるとキャピトルのオリジナル編集盤は大抵が数多いフォト・セッションからキャピトルが勝手にジャケットを制作していました。

と、言うことは『ビートルズの反骨心』的な理由はファンにとってはカッコイイ理由ですが、本当は違うという疑惑も出てきます。




そんなにスゴイのか?ブッチャー・カバー


米Capitol T2553(mono) 米Capitol ST2553(stereo)


ブッチャーカバーって何?

何のことか判らないという人の為に簡単にいえば、昔、アメリカではビートルズのアルバムをアメリカ独自で作成したものがありました。
その中の一つ「イエスタディ・アンド・トゥディ」というアルバムのジャケットが、ビートルズの四人が肉屋(ブッチャー)の格好をして、赤ん坊の人形や、肉の塊を抱えているというグロテスクなもので発売。
あまりの非難にすぐ回収され、ジャケットが差し替えられるということがありました。
このため、ファンの間では「ブッチャー・カバー」と呼ばれ、高値のアイテムとなっています。


撮影者ボブ・ウィタカー

この『ブッチャー・カバー』の撮影は、64年から66年までビートルズの公式フォト・グラファーを努めたボブ・ウィタカーです。

彼は61年から64年までメルボルンでフリーのフォト・グラファーで、『ヴォーグ』誌などで活躍していました。


64年6月、ビートルズ最初のメルボルン公演で、ビートルズの一行がサザン・クロス・ホテルに滞在中に、ウィタカーの友人エイドリアン・ロウリンズがジャーナリストとしてエプスタインにインタビューする事になりました。

その際、フォト・グラファーが必要となり、ウィタカーが同行したのです。

撮影後、ウィタカーは自分のスタジオに戻りプリント作業を開始するのですが、エプスタインに会ったときの印象から、エプスタインを皇帝に見立てて、孔雀の羽をいくつか彼の顔のまわりに描き、多重露光を試み、エプスタインの肖像写真を完成させた。

撮影者のクレジットを入れる際に、ゴム・スタンプでは無く、もう一枚の別の写真にはエプスタインの両側に彼と同じようなポーズのウィタカーの写真を合成して仕上げた。


再度サザン・クロス・ホテルにもどり、エプスタインにこれらの写真を見せたところ、それらの写真を大変気に入ったエプスタインは時間をわざわざ見つけてウイタカーのスタジオに出向き、彼の他の写真も見た上で、イギリスでビートルズのフォト・グラファー兼エプスタインの芸術的な相談役として働かないかとその場で依頼します。


その後、数々のビートルズのフォト・セッションをしながら公演旅行に同行。
(当然、年代的にシェア・スタジアムや日本公演のオフィシャル写真はウィタカーの手によるもの)

また、ビートルズのプライベートな写真(ジョン、シンシア、ジュリアンの家族写真は有名。下の写真)も手掛け、例のビートルズが食事会をすっぽかしたと言われるマニラでの公演まで同行の後、ギリシャへウィタカーは渡り、ビートルズの元を離れます。


ウィタカーのアルバム・ジャケット

ビートルズ’65

『リボルバー』裏ジャケット

『オールディーズ』の裏ジャケ

トランク・カバー

パープル・トランク・カバー

ウィタカー初の表ジャケットのアルバム。 同フォト・セッションでポールがブッチャーのスライドフィルムを見ているショットが有る。
下の写真
来日の際のヒルトン・ホテルでのショット。
UKやドイツ盤は裏焼きになってしまっている。
これもウィタカーの表ジャケットとしてのカウントだな。 日本では余り知られていないもう一つのトランク・カバー下はバージョン2。
状態によっては、ブッチャーより高い。



ブッチャー・カバーのフォト・セッション時の本当のコンセプト

撮影時期は66年3月。場所はロンドン。

ウィタカーがシュールレアリストのメレット・オッペンハイム(現代アートでは有名なカメラマンですね。我が家の近くの喫茶店にも、ポスターが掛かっています。)の作品『Lunch In Fur』(その名の通り、食器がFar=毛皮で出来ている)からインスピレーションを受けたのです。

生肉、人形、入れ歯などと一緒にビートルズを撮影したのは、正常と思われるものの概念を取り払うためにオッペンハイムが毛皮を使った様に、ウィタカーはこれらの小道具を使用しました。

このフォト・セッションで最終的にウィタカーが撮ろうとしていたのは、ジョン・レノンの
『ビートルズはキリストよりも偉大』発言の直後でも有り、4人の頭に金色の円光を組み入れ、円光の中心に準宝石をはめこむものになるはずであったらしい。

(ジョンのキリスト発言は66年3月4日発売の『イブニング・スタンダード』誌が最初。
実際に騒動になったのは、同年8月29日発売の『デイト・ブックス』誌に『イブニング・スタンダード』の記事を引用してからであります。)

もし、このウィタカーの4人を聖者に見立てたジャケットが使用されていたら、その後の騒動と合わせてもっと大変な事になっていたでしょう。

それと、『ブッチャー・カバー』の元となった写真のアイデアはボブ・ウィタカーの案という事もお忘れなく。


なぜ、ブッチャーカバー?

このフォト・セッションの終了後、『イェスタディ アンド トゥディ』の発売に間に合わせる為に、ウィタカーが完璧なアートワークをする間もなく、ウィタカーからひったくるようにアメリカに送られます。

で、誰が選んだのかまでは知りませんが『ブッチャー・カバー』の写真が採用された訳です。

つまり、ビートルズもボブ・ウィタカーも、この写真がジャケットになるとは知らない訳です。

このジャケット騒動でコメントを求められたジョンは
『ベトナム(戦争)も同様に問題にされるべきだ』と発言しています。


最後に

今回は『ブッチャー・カバー』について撮影者のボブ・ウィタカー側から見た内容にしました。

(このHP自体、リッケン語るならリッケン側から、マンソン語るならマンソン側からと相手側からの視点を信条としてるのですが、その分、狂信的なビートルズ・ファンには『???』ということもありますが・・・)


最初に述べたように、『ビートルズの反骨心からのジャケット』とは違う内容で、ビートルズ側に責任の有る騒動でもないのに、ビートルズ史を語る上で『マンソン事件』と並ぶ事件となっています。

で、そんなにすごいのか?というのは各個人の判断となるところです。

人と違う物を好む私は同じ大金を払うなら、『パープル・トランク・カバー』が欲しいです。

参考文献として91年発売の『ビートルズ未公開写真集』(ウィタカーの写真集)など。

興味の有る方は是非読んでください。


オリジナル通りの発売をしないキャピトルをビートルズと同じように非難しておきながら、このアイテムに飛びつくマニアの心理は私には理解出来ませんが、ここまでの高値になったのは一つに『判りやすい』というのも有るのでしょう。

つまり、切手などもミスプリントや額面落ちだと高値で、誰でも判る。

ゴールド・パーラフォンの、通でないと判らない物より『ブッチャー・カバー』の方が判りやすいという事が高値に拍車を掛けているのでしょう。





BACK TOP INDEX



inserted by FC2 system