DARK SIDE OF THE BEATLES
チャールズ・マンソン事件て何?

チャールズ・マンソンの事件の事なのですが、私がカルト等に興味が有るとか、チャールズ・マンソンの事を英雄視しているという事は無いことを最初に言っておきます。
では、何故取り上げたのかという事なんですが、私の周りの若い人達の間で、チャールズ・マンソンを英雄視する人が多く、「何故、マンソンのTシャツを着たりするのか? 」と聴いたところ、「ガンズ&ローゼズにリスペクトされてるし、マリリン・マンソンの名前の由来にもなっていてカッコイイから」との返事。
「事件の内容は知っているのか? 」と聴くと、「金持ちを殺してたんでしょ? 」との回答。
ただの犯罪者が英雄視される事に疑問を覚え、この記事を書きました。
アメリカで起きた事件でもあり、若い日本のビートルズ・ファンには「なんのこと? 」という人も多いはず。
直接ビートルズとは関係ないことです。


−簡単な事件の内容−
あるカルト教の集団が、アメリカの有名女優夫婦や金持ち夫婦を惨殺する事件が起こる。

で、逮捕後に犯行理由として、ビートルズがホワイトアルバムにメッセージを込めて、自分達に語ってきたと言い、この事が話題になる。また、リーダーのチャールズ・マンソンがビーチボーイズのデニス・ウィルソンと曲の共作ををしていたりして話題となった。

マンソンの予言は簡単に言うと「黒人と白人が戦争を始め、黒人側の勝利となるが、黒人には世界を統治する能力が無いため、マンソンに指導者となってもらうよう頼みに来る」というようなもの。

ここで言われる戦争の事を彼らは「ヘルタースケルター」と呼んでいた。

彼らは黒人と白人が戦争を始めるよう、黒人の仕業に見せかけ殺戮を繰り返したのである。



- チャールズ・マンソンの生い立ちから事件まで -
詳しく知りたい人はクリック。



−マンソンがホワイトアルバムに見出したもの−
ヘルタースケルター
Helter Skelter (Lennon-McCartney)
   When I get to the bottom I go back to the top of the slide
   Where I stop and I turn and I go for a ride
   Till I get to the bottom and I see you again
マンソンは白人と黒人の最終戦争のことを“Helter Skelter”と呼んでいたが、上記の歌詞はマンソン自身のファミリーのことを歌っているとした。
つまり、底のない穴からファミリーが現れる様子を描いたものだというのだ。
イギリスでは
“Helter Skelter”は遊園地にある、らせん状の滑り台のことだったが、アメリカにはこのような解釈はなかった。
最終戦争(ヘルター・スケルター)とは 「やがて白人とブラック・パンサーをはじめとする黒人武装集団が大戦争を起こし黒人が勝つ。しかし黒人は統治能力がないことに気づく。そのとき超純血種で、真の覇者であるあるマンソンに、世界の覇権を譲り渡すことに賛同するであろう」というようなものである。

レボリューション9
かねてより、聖書を愛読していたマンソン。
ヨハネの黙示録第9章と対照させ、ビートルズが黙示録に登場する「人類の三分の一に死をもって報いる4人の使徒(天使)」でありファミリーの面々に、大破壊と殺戮の危機を知らせたと考えた。
「チャーリー、電報をくれないか?」という言葉を聞き取ったり、この曲を聴きながら、「Rise!」と叫んだりした。
ラビアンカ夫婦殺人事件の現場の壁にも血で「Rise」と書かれていた。


セクシー・セディー
ファミリーのメンバーのスーザン・アトキンス(シャロンを刺した犯人)、別名(なんと)セディ・メイ・グラッツの為の曲と解釈。

ハピネス・イズ・ア・ウォームガン
銃火器による武装を促す為の歌

ピッギーズ
ピッグはブラック・パンサーが警官(権力側の人間)の呼称として使っていた言葉であり、マンソンは歌詞の「ブタどもはa damn good whacking(たんまり殴る)しなければならない」というフレーズがことの他、気に入っていた。


ホワイトアルバムが気に入ったのも、「すべて白い」(マンソン自身、ブラック・パワーを恐れて
いた)という事もあったのだろう。


−シングル盤「ヘルタースケルター」の謎−



76年に編集アルバムで「ロックン・ロール・ミュージック」というアルバムがリリースされる。

これに合わせてイギリスのEMIでは「バック・イン・ザ・U.S.S.R / ツイスト・アンド・シャウト」をリリース。

アメリカ・キャピトルでは「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥー・マイ・ライフ / ヘルタースケルター」をリリース。

よくこの不整合ぶりを
EMIとキャピトルの対抗意識の表れとして取り上げられる。

日本はどうしたか? というとキャピトルと同じ曲目なのだが「ヘルタースケルター」をA面としてリリース。
(レコード番号EAR-20050)

しかし、アメリカ・キャピトルが出した方のシングルのチャートの動きを見た場合、イギリスとの対抗意識だけで片づける事が出来ない事に気付く。

アメリカにて通算45枚目となるこのシングルが発売されたのは1976年5月31日。

1976年6月26日トップ30の内27位に登場。8月7日づけで最高3位まで上がり、12週間チャート内にとどまった。

非オリジナルのシングルとしては異例である。

実はこの頃アメリカにて、
マンソン裁判のドラマ化により69年のマンソンの事件が再燃していた。

ヴィンセント・バグリオシ、カート・ジェントリー両検事のベストセラー本に基づいたそのドラマ「ヘルタースケルター」には上記のホワイトアルバムからの曲をフューチャーしていた。

でキャピトルは1976年4月30日にラジオ局向けに「ヘルタースケルター」の特別限定版DJ用シングル(P4274)を作った。

しかし、一般向けのリリースにマンソン事件を利用するのはよい方法ではないと判断。

「ガット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイライフ」をA面としてリリースした。


以上のような事から、イギリスEMIとは関係なくキャピトルは「ヘルタースケルター」をシングルとしてリリースしたかったので対抗意識からシングルの曲目が異なるというのとは違うのである。

なせ゜日本がキャピトルの方の顔を立てる形で「ヘルタースケルター」をリリースしたのかは不明。

しかも、インナースリーブの解説に「ジョージのギターが最高」というような発言。

ファンなら「ヘルタースケルター」のギターがポールであることはしっているのだが。


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